まるわかり「戒名」~料金の不思議やその仕組みを知って正しく授かりましょう~|葬儀Book

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2015年9月30日
まるわかり「戒名」~料金の不思議やその仕組みを知って正しく授かりましょう~

仏式葬儀を考える者にとって、頭の痛い「戒名料問題」。よい戒名を授かるには、数十万~数百万円という相場があると言われていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。戒名の正体を探り、仕組みを知り、心から納得して戒名を授かるようにしましょう。

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「戒名」って何だろう。基本のキから考えてみましょう

仏式でお葬式の段取りをするとき、気になることの1つに「戒名」があります。お寺離れが進む現代においては、漠然と亡くなった人に付けられる名前だと認識し、お葬式のときに別途高額な戒名料が必要であると考えて、悩んでいる方も多いでしょう。 仏花

人間はわけの分からないものに大金を使いたくないものですが、一方でわけが分からないからこそ不可解な金額でも「そういうものか」と支払ってしまうケースもあります。

世の中にはこうした何も知らない遺族に法外な料金を提示したり、格式の高い戒名にしないとあの世で不幸になると言って騙したりする悪徳な寺院や葬儀業者もいます。悲しみにくれる遺族の気持ちを踏みにじり、徳のある寺院や葬儀業者の品位まで貶める行為は、仏に心を寄せる筆者としても誠に許しがたいことです。

この記事ではそうした悪徳な者に騙されないよう、また心から納得して戒名を頂けるよう、戒名の正体を少しずつ紐解きながら、上手に戒名を授かるためのヒントをご紹介します。

戒名はお坊さんとしての名前で、お葬式は故人をお坊さんにする儀式

まず、戒名とは何なのかを見てみましょう。戒名は本来亡くなってから授かるものでなく、生きている間に発心して仏門に入ったとき授かる名のことで、法名や僧名とも言われます。生きている人の場合は仏門への入門儀式である「得度式」で、仏さまの弟子として守るべき「戒」を授かると同時に、俗世と区別を付けた者としての名前も頂くのです。 祭壇

一方、亡くなった人の場合は「没後作僧」と言って、お葬式で導師と呼ばれる僧侶によって仏門へと導いてもらうことになりますが、儀式の意味合いそのものは生きている人が「出家」するのと同じです。つまり、仏式で葬儀をして戒名を授かったなら、故人は正式な仏さまの弟子である「お坊さん」となって旅立たれたというわけです。

こうしたことから、最近見かける「生前戒名」の真贋についてもよく見極めなければなりません。菩提寺などの寺院で事前に住職と面談を行い、得度式を行って授かるのが本来且つ本物です。何のカウンセリングもなく単に振込をして「名前だけもらった」のだとすれば、それは「帳面に載っただけで中身のないペーパー戒名」の域を出ません。

「お布施」はお金だけではありません。赤ちゃんでも出来ます

次に、お葬式や戒名に関わる「お布施」について考えてみましょう。実はお布施には大まかに3つの種類があります。

一つ目は、仏さまの教えを説く法話をしたり、人のために写経や読経などを行う「法施」。お寺などで僧侶がしてくれることだと言えば分かりやすいでしょう。

二つ目は、惜しみなく心から金品を相手に与える「財施」。僧侶にお金を包むだけでなく、災害支援などで毛布や義援金を送るといった行為もこれにあたります。

三つ目は、相手を安心させたり不安をなくしたり、或いは喜ばせたりする「無畏施」。例えば人の相談に親身に乗ったり、相手に優しい笑顔を向けたりすることです。

一言でまとめると、「相手のために施すこと」全てがお布施になり、必ずしも対僧侶のみ、お金のことのみを指して言うのではありません。赤ちゃんが笑って母親を喜ばせたなら、赤ちゃんは母親に対してお布施をしたことになるのです。

出したお金に見返りを求めないのが「財施」

墓石

戒名料はこのうち二つ目の「財施」にあたります。僧侶が戒名を授けてくれる「法施」に対し、感謝の意を込めて財のお布施をするのです。お布施の心得として、最初から見返りを求めてそれを行ってはなりません。自分の行為によって返ってくるものは、あくまでも相手主体で導き出された「結果」です。

お金欲しさに集客をして誰彼なく戒名を付けたり、立派な戒名欲しさに大金を積んだりすることは本末転倒であり、本来のお布施の意味から大きく外れてしまいます。相互に納得してのことであれば、資本主義的な観点からは「商談成立」であり、別に悪いことではありません。しかし、本当に真摯に仏道精進に励む僧侶は戒名の「商品化」に疑問を持っていますし、いくら大金を積んでも授与を断る寺院もあることは覚えておいたほうが良いでしょう。

戒名はあの世での格を決めるものではない

以上のことから戒名には相場などなく、そもそも戒名料などという「料金」さえ存在しないのだということが分かります。僧侶が故人のために心を込めて仏さまとしての名前を付け、授与された側は感謝の意を込めて寺院や僧侶の役に立つものを贈りますので、頭から戒名料を要求したり格式の高い戒名をねだったりするのは、仏教徒の価値観からすればおかしいことなのです。

戒名の授与も「お布施」である以上、授かる人に対してたとえば「院号を付けるから、これとこれをやって、あれを持って来てください」と言うことは、正式にはありません。故人の生前の社会貢献度や仏教徒としての行いなどといった「善の功績」が素晴らしく、寺院がそれに報いようとしたときに、格式の高い戒名が付けられます。

この原則に則る限り、無名の一般庶民層で、親兄弟も含めてお寺や仏教に全く縁がない生活をしていた人ですと、授かる戒名は「下級」のものにならざるを得ません。仏さまの前では皆平等ですから、格式が高いからといってあの世で良い扱いをされるわけではありません。あくまでも「この世でどのような生き方をしたか」で決まります。

例えば筆者の菩提寺の檀家は「院居士・大姉」が付きますが、20代や30代の若年者が「生前戒名」として院号を付けてもらいたいと言っても、功績がまだ乏しい状態ですから簡単には授与されません。「まだ分不相応、あるいは未知数ですから」というわけです。

戒名にはお金だけでは測れない価値があります

ここで一度立ち止まって、今のご自身の「俗名」を考えてみてください。そのお名前は親御さまが誰かに頼み、借金をして大枚をはたいて付けられたものでしょうか。多くの場合そのようなことはなく、親御さまやお身内が新しい命のために、一生懸命心を込めて考えたことでしょう。

戒名も同じです。お坊さんとしての名である戒名は、親代わりとなって成仏まで責任をもって導く師僧から授かります。師僧は「新しいお坊さん」のために経典を紐解き、我が子となる弟子の人となりをよく見たうえで、時には何日も掛けて考えます。時間や労力的な負荷は掛かりますが、さすがに数十万円や数百万円の料金になるとは考えられません。

それでは何故、戒名を授かるのにこれだけの費用が提示されてしまうのでしょうか。この段落では順を追って、より掘り下げた戒名の絡繰りをお話しします。

最上級の戒名を分解して見てみましょう

一般的に立派な戒名ほど文字数が多くなっています。ですが、「個人名としての戒名」にあたるものは格式に関係なく2文字であり、前に付いているのはその人の功績や生前の生活などを表す言葉から付けられた「院号」「道号」、後ろにあるのが仏教ないしは寺院への貢献度や信仰の深さを表す「位号」です。※形式は宗派によって異なります。

ここで、著名な政治家田中角栄氏の戒名「政覚院殿越山徳栄大居士」を例にして、それぞれに分けてみましょう。この項目でのみ便宜上、長いままのものを「広義の戒名」、本来の2文字の戒名を「狭義の戒名」とします。
[1]政覚院殿[2]越山[3]徳栄[4]大居士
[1]から順に院号、道号、狭義の戒名、位号です。
国家クラスの大人物ですから、格式としては最高のいわゆる「院殿大居士」です。[1]は職業や業績を表しています。[2]は氏が生前使用した雅号(画家・文筆家などが、本名の他につける風流な別名)から。[3]が氏が授かった狭義の戒名で、仏の世界を表す1字と俗名の1字が採られています。寺院への貢献度も非常に高いため[4]の位号も最上級です。

なお、広義の戒名は宗派によって形式が変わります。特定の号を付けなかったり宗派独自の字を入れたりと様々で、広義の戒名を見るだけでその人の宗派が分かることもあります。

戒名を授かるとき、「地獄の沙汰もカネ次第」ではありません

世間一般の人が「院殿」や「大居士」を授かるには、前項の田中角栄氏のように国を動かすほどの実績ないしは貢献度の証左が必要ですが、現実問題としてそれは不可能です。手っ取り早く解決する手段として、莫大な額の財施をすることとなります。

法施や無畏施によって国家的著名人並の働きをするには、可能だとしても何十年もの長い時間が必要ですから、これまで寺院と繋がりが無く、目立った社会貢献もして来なかった人は、その分に相応なものを授かるか、急場しのぎ的に財で貢献するしか無いのです。

ここに、格式の高い戒名が高額とされてしまう理由があります。

信仰のあつい檀家は日頃から様々な寄進をしたり、行事や掃除などの手伝いをしたりして寺院を支えています。たとえお金持ちでなくても、1年につき10万円の財施を50年間続けたとしたら、総額は500万円となります。毎月5時間のお手伝いを30年間行えば、時給1000円換算で180万円分の労働力を寄進する計算です。

檀家がこうして長年にわたって少しずつ行っているような様々な種類のお布施を、たった1回の財施のみで一気に稼いでしまおうというのが「戒名料」の正体です。

初心者に最も分かりやすい「お金」というカタチ

お札イラスト

寺院も資本主義社会の中に置かれている以上、維持や運営には多額の費用が掛かります。僧侶の食事や生活用品も、寄進で足りない分はお金を出して買わねばなりません。善意の法施だけで存続して行きたくても、社会システム上からなかなかそうは行きません。

また、寺院から戒名や葬儀にかかるものを「お気持ちで」と言われても、仏教や寺院をよく知らない人にとっては何をどうすれば良いのかかえって困ってしまうことがあり、一定の目安を示す方が安心しがちです。そのため特に外部から新規の仏さまがある時は、授かる側には最も分かりやすく、寺院にとっても用途を選ばない「お金」という形でお布施の目安を提示します。

自分から格式を要求してはなりませんが、事情があるなら相談を

もし戒名料が高額で支払えず、尚且つ格式の高いものを望むなら、お金に代わる何かを布施すると良いでしょう。ただし、下心をもってすることは仏の心に反しており、寺院に対しても非常に失礼にあたるため、戒名の格式を上げてもらうという「見返り」を求めることは厳に慎んで下さい。

そこまでしても最終的に格式の高い戒名が授かれるかどうかは、ひとえに寺院の方針や住職の考え次第です。ご先祖さまが代々格式の高い戒名を授かっている場合や、目に見える功績がなくとも故人が非常に徳の高い方であった場合など、どうしてもという場合は素直に住職に相談し、故人の人柄を添えてなぜそのような戒名を望むのか、丁寧にお話してみましょう。

なお、高額な戒名料を取ることや、お布施でなく「料金」と呼ばれることに反対し、「お金よりもまず供養」という心で活動している寺院もあります。こうした寺院の住職は、戒名が僧侶としての名であるという基本から丁寧に説明し、事情を汲んで柔軟に対応してくれます。面談で住職がその資質ありと認めれば、数万円程度で「院居士」を授けてくれることもあります。菩提寺を持たない人は、こうした寺院をじっくり探しても良いでしょう。

相手のために喜んで行い、相手の行動に心で応える

前項の内容を言い換えれば、寺院と親密なお付き合いをして、仏の教えをよく学んで実践し、継続して仏教や社会などに貢献した結果として戒名が「グレードアップ」するということです。

戒名の格式は単純な金額換算だけで導き出されるわけではありませんが、寺院が「この方には本当にお世話になった」「この方は世のため人のため、多大な働きをなさった」と感じたときには、感謝と敬愛の真心で院号を付けたり位号を上級にしたりするのです。

このスタイルにより、原則として檀家は「戒名料」を「支払う」ことがありません。もちろん寺院も要求はしません。檀家はいわば善意のスポンサーですから、葬儀に必要となる諸経費を勘案しつつ僧侶への感謝、寺院の発展を願う気持ちも含めて、「料金」としてでなく「気持ちとして喜んで」お渡しするといった感覚です。

分相応と認めれられれば良い戒名が付くことがあります

棺桶

如何でしたでしょうか。寺院や僧侶によって戒名に対する考え方は様々ですが、いちばん良いのは名付け親となる菩提寺住職の価値観と、授かる側の考えが一致することです。

高額な戒名ビジネスをする寺院は、お金を積んででも良い戒名が欲しい人たちから一定の需要がありますし、仏さまや寺院が好きな人でしたら、格式が低くても本人に相応しい戒名を付ける僧侶と相性が良いです。

納得の行かないまま授かっては、いくら立派でも心が込められていても、その戒名で幸せや安心は感じられないでしょう。それでは主旨に合わなくなってしまいます。たとえば戒名のために借金をして、後で苦しむようなことがあってはならないのです。元々仏教は「生きている人」のための宗教ですから、生きている人がまず心を安んじることが大切です。

お金がなく格式の高い戒名が欲しいと言う方は、授かる人がその戒名に相応しいということを、寺院を訪ねて住職によくお話ししましょう。心のある住職であればこれまでのお付き合いの有無に関わらず、お金のこともひとまず置いて、必ず先ずは耳を傾けてくれるはずです。

著者:増田明空

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社内外、公私を問わず無報酬の「モノ書き」をするうちに、兼業でもライターが出来ると知って始めました。価値観は恐らくマイノリティに属します。
ものを書くときは、「社会通念・固定概念・枠や型にとらわれない」を信条としております。